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「東日本大震災2周年を迎えての祈りの集い」 山口陽一師説教

破れ口に立つ者」 エゼキエル13章1〜10節

1、破れ口
 本日は、エゼキエル書13章から学びます。キーワードは3つ、「破れ口」「平安」「破れ口に立つ者」です。まず初めは5節の「破れ口」です。
 エゼキエルはエレミヤの後、捕囚されたバビロンにあってエルサレムの滅亡と回復の希望を語った預言者です。5節の「主の日」が指すのは、主がことをなさる日のこと、エルサレムの滅亡という形で顕わされる主の裁きの日のことです。「破れ口」とは、敵の攻撃を受けて破壊される城壁のその部分、命がけで守り修復しなければ、そこから敵がなだれ込みエルサレムは滅んでしまう急所です。
 死者・行方不明者18,579人の大多数を一瞬にして飲み込んだ巨大津波は、日本列島に目に見える破れ口を生じさせました。今なお31万5,196人(2月7日現在、復興庁)が住む土地を追われ避難・移住を続けることを余儀なくされています。そして、その大きな原因である福島第一原発の事故は、誰の目にも明らかな破れ口と言ってよいでしょう。この破れ口はまだ塞がれていません。原発事故では、福島第一原発の廃炉作業に40年と言うのですが、まだ瓦礫の撤去さえ終わっていません。メルトダウンした核燃料がどうなっているのかは誰にもわからず、40年とは、ほぼ不可能ということです。
 東日本大震災によって、あるいは震災から2年を経過する中で、破れ口からより深刻な破れ口が見えてきました。
 その危険性を高木仁三郎氏は、早くから破れを予見していました。「原発の基本的な問題は、その運転に伴って生じるぼう大な放射能(死の灰)にあるが、その日常的放出による環境汚染、巨大事故による被害、労働者の被爆といった生命と環境にかかわる問題に加えて、巨大開発に伴う地域社会の破壊、核物質防護のための厳しい管理など、すぐれて社会的な問題も提起している。原発問題は、現代の巨大科学技術と人間の間に生じる不可避的緊張を先鋭な形で示している」(原発」『社会学事典』弘文堂1988年)
 「不可避的緊張」が、ついに破れ口をなってしまったのが、今回の事故です。事故後、電力不足が叫ばれましたが電気が足りないわけではありませんでした。温暖化対策が語られましたが、原発が温暖化対策の決め手でもなく、大前提だった資源の枯渇もそうでもないのです。では、なぜ廃棄物の処理もできない原発を稼働し続け作り続かけるのかというと、利益優先で軍需に手を伸ばす企業と核開発、安全保障の要請でした。
 広島、長崎への原爆投下の後、アイゼンハワー大統領の国連演説(1953年12月23日)以来、“Atoms for peace”(「原子力平和利用」)は軍事と軍事経済にまつわる国家的利益に常に支配されて来ています。そしてその事実を覆い隠さんとする情報操作が今に至るまで続いているのです。
 社会学者の山下祐介氏の『東北発の震災論 周辺から広域システムの考える』(ちくま新書)は、中心(中央)のために周辺(地方)がリスクを負い、中心から周辺に利益が還流する「広域システム」の存在を顕在化させたのが今回の震災であり、福島原発事故だったとしています。わかり易いところでは、福島第一原発の電気を使っていた首都圏の人間、企業ではなく、原発の地元の人々がふるさとを追われているということです。
 いったん広域システムに破れが生じると、個人ではそれをどうにもできません。専門家や国家でもどうにもならない、そこで、破れ口が生じると制御も修繕もできないのです。システム全体は誰にも見えず、誰も責任を取らないし取れない。根源的には人間の欲望、つまり罪の問題に行き着くような「破れ口」が明るみに出されたわけです。
 エゼキエル書に戻りますと、イスラエルの破れ口は、敵の攻撃を受けて壊れた城壁の破れ口ですが、それだけでしょうか?破れ口に立たないと批判されているのは偽預言者です。そして彼らによって神のことばに聴き、みこころを行うべきイスラエルです。
 そもそもイスラエルには、あるいは偽預言者には、土木工事が求められているのでしょうか。破れ口を修理し、イスラエルの家であるエルサレム神殿の石垣を築くという土木工事が、求められているすべてなのでしょうか。
 そうです。お気づきのように、エルサレムの城壁の破れ口もさることながら、神の裁きとしての敵の攻撃を招いた彼らの堕落、罪の問題がありました。問題の確信は、土木作業ではなく、彼らの罪の問題です。そして、その罪の中心こそが、「神のことばに聴き従わない」ことでした。偽預言者は、2節にあるように「自分の心のままに預言する者ども」でした。神のことばを聴かない、聴こうとしない彼らは、自分の心の内にあることを「神の御告げ」と言って語ります。
 6節
 神のことばを聴かないことこそ、神との関係における破れ口です。これこそが深刻な破れ口なのです。預言者はそこに立って神のことばを語るべき者であるのに、それをしないで「自分のこころのままに預言」していたのでした。


2、平安がないのに「平安」と言う
 今日の二つ目のキーワードは「平安」です。偽預言者は「平安」の預言者でした。10節「実に、彼らは、平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてします。」
 「しっくいで上塗りする」という表現が15節まで続きます。言わんとするところは明らかで、本当は強靭な壁ではないのです。それを立派にみせかけるためのしっくいの上塗りです。ここでも、神殿の城壁の破れ口を適当に直したふりをしてごまかしておくというようなことがあったのかもしれませんが、さらに深いところにある彼らの問題は、そのような態度なのです。
 「平安がないのに『平安』と言う」のは、表面的な励ましのようではあります。しかし、「平安がない」ということを直視することからしか、本当の解決は始まらないのです。先ほど、津波の被害や原発災害の破れ口はまだふさがれていないと申しました。瓦礫はだいぶ片付いてきました。あの目を覆いたくなるような光景は、少しずつ改善されているように見えますが、本当のところ、破れ口はまだ開いたままです。
 今日の『朝日新聞』によれば、福島第一原発事故によって設定された避難区域に、今後4年帰還できない住民が5万4千人だそうです。私の群馬の実家の隣に土地を買って家を建てているのは福島の人です。県外移住者の80%がもう故郷には戻らないつもりという『毎日新聞』のアンケート調査もあります。
 第一の破れ口から見えてきた、より深刻な破れ口について言えば、まさに「平安がないのに『平安』と言っている」状態です。原発の安全神話が崩壊し、「核の平和利用」という言葉にもごまかされてきたことに気づいたにもかかわらず、安倍内閣は、再び原発推進に舵を切りました。これからは「原発の安全文化」をつくって行くのだそうですが、「平安がないのに『平安』と言って、わたしの民を惑わし」でしょう。
 エゼキエル同様、エレミヤは偽預言者と祭司たちに対して同じ批判をしています。
 エレミヤ6章13〜14節
 1990年代の半ばからグローバル化の中で格差が広がり、ワーキングプアであるとか、生活保護世帯の増加であるとか、大卒者の就職難であるとか、身近なところで裂け目は広がっています。1997年に23,949人だった自殺者は1999年に31,755人となり、その後14年連続で年間3万人を超えています。
 大震災後、人が人として安心して生きる権利、つまり「人間の安全保障」が課題となっていますが、自民党改憲案の向かうとことは真逆です。
 憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」としています。ここには「国民」は入りません。すなわち憲法は、公権力を制約するためにあるのです。ところが改憲案では、「全ての国民は、この憲法を尊重しなければならない」と言う一分を加えて、国民が公権力に制限を加える憲法を逆転させて、公権力が国民を制約する憲法に改悪しようとしているのです。人のための国から国のための人、人間の安全保障から国家の安全保障へと方向転換しようとする憲法改正案は、震災復興のあるべき方向にも逆行しています。「安全」だと言って、「安全」でない方向へと国民を導く公権力は、エレミヤ、エゼキエルの時代と本質的にかわりません。


3、破れ口に立つ者
 本日、第三のキーワードは「破れ口に立つ者」です。「平安がないのに『平安』と言わない」、そして破れ口を修理し、石垣を築く者です。
 震災2年目の復興支援本部の報告を配布しました。被災地にある諸教会と先生方が、54の派遣チームが、そして後藤一子先生と布山真理子先生が「破れ口を修理する」働きを続けて下さいました。
 先生方は「平安がないのに『平安』と言わず」に、破れ口に立って下さいました。「破れ口を修理もせず」と非難されているのですから、破れ口を修理すべきなのです。しかし、破れ口を修理することは容易いことではありませんし、神と人との破れ口を修理できる人はいません。
 エゼキエル22章30節
 破れ口に立ち、破れ口を修理し、イスラエルの家の石垣を築く人はいないのです。とすれば、私たちはただお一人の方、イエス・キリストを待つ他ありません。
 主は、黙って見ておられるだけでなく立ち上がって下さる方です。
 8節b「わたしはあなたがたに立ち向かう」と偽預言者に宣告された方は、やがて自ら人となって来られ、破れ口を塞いで下さいました。
 「あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう」と9節後半にあることをイスラエルは神の裁きにおいて知ることになりました(14、21、23節にも繰り返し書かれています)。幸いなことに、私たちは御救いにおいて破れ口に立ち給うた方を知りました。ですから、この方を礼拝し、神のことばを聴くことを徹底して行きたいと思います。


4、まとめ
 3つのキーワードからエゼキエル13章の預言に聴いて来ました。3つのことを確認して終わりたいと思います。
 第一に、平安がないのに平安と言わない。被災地とそこに住む人々、そこを追われた人々の現実を忘れないようにいたしましょう。破れ口から顔をのぞかせたより深い破れ口を徹底的に見て行かなければなりません。ごまかされないようにいたしましょう。
 第二に、破れ口に立ち給う方、究極的に破れ口を塞ぎ、真の「平安」を給う方を礼拝し、そのみことばに聴き続けましょう。
 第三に、私たちの先頭に立って破れ口に立ち給う方に従って、破れ口に立ち続ける者となりましょう。神と人の破れ口、人の罪に起因する不義の破れ口、そして震災の破れ口、そのいずれにも立つ者とならせていただきましょう。 

東日本大震災から二年を迎えての私たちの祈り

 東日本大震災から二年を迎えての私たちの祈り

序詞
 明日、3月11日で、東日本大震災から二年を迎えようとしています。私たちは今、私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神をほめたたえ、全国の同盟教団の諸教会とともに、心を合わせ、言葉を合わせて、祈ります。

聖書
■コリント人への手紙二1章3節?5節
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも 、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

祈り

慈しみ深い父なる神よ。

いま私たちはあなたの父としての慈しみを信頼して、あなたの子どもたちとして祈っています。どうか私たちのささげる祈りに耳を傾け、あなたの恵みを注いでください。
東日本大震災から明日で二年を迎えようとしています。あの時以来、月日が流れましたが、今なお、時がとまったままのように立ちすくんでいる人々がいます。地震と津波によって町や村、家々が押し流され、たくさんの尊いいのちが奪われました。今なお人々の心は傷ついています。目に見えるところでは少しずつ復興が進んでいるように見えますが、人々の心はなお痛んでいます。愛する家族やかけがえのない人々を失った人々の上に、家や仕事、大切な財産を失った人々の上に、将来の希望を失った人々の上に、あなたの深いあわれみを豊かにお与えください。
その一方で、震災はもはや過去の出来事のように忘れ去られようとしています。忘れやすい私たちの罪、無関心を装う私たちの罪をお赦しください。あれほどの事故が起こった原子力発電所を、再び動かそうとするこの地震国の指導者たちを押し止め、より賢明な道を選ばせてください。苦しむ人々のことを忘れて、自分たちのことばかりを考える私たちの自己中心の罪をどうぞお赦しください。あなたが慰めを与え続けておられる人々のもとに、私たちもまたとどまり続けることができるように、あなたの愛を与えてください。
 
慰めにあふれておられる御子イエス・キリストよ
私たちは今、あなたの十字架の御苦しみを覚える受難の季節を過ごしています。あなたの十字架こそが私たちの救いです。十字架においてあらわされたあなたの愛だけが、私たちを慰め、励まし、生かすものであると信じます。どうか今なお深い悲しみの中にある人々、疲れ果てている人々、恐れの中にある人々、生きる力を失いかけている人々に、あなたの愛を、十字架の愛を豊かに注いでくださいますように。
私たちは、あなたの十字架の御苦しみの向こうに、復活があることを知っています。復活こそが希望です。どうか傷ついた人々が、絶望した人々が、あなたにある希望に生きることができますように。そのために、希望の福音を託された諸教会を祝福してください。福音を語るために遣わされている牧師たちを祝福してください。いのちの望みを語ることができますように。罪の赦しを語ることができますように。本物の愛を語ることができますように。そして人々が福音に生きることができるようにしてください。

慰めと励ましの主なる聖霊よ
あなたは父なる神と御子イエス・キリストから遣わされた慰めと励ましの霊として、今も私たちとともにあり、うちに住んでいてくださることを感謝します。どうか今、慰めと励ましを必要としている人々、被災地の人々、被災地の兄弟姉妹たち、被災地の伝道者たちを慰め、励ましてください。またあなたは派遣の霊でもあられます。どうか私たちを遣わしてください。祈りをもって、献金をもって、また許されるなら私たち自身をもってあなたが必要とされるところにお遣わしください。あなたの慰めを届ける器として私たちを用いてください。
引き続き同盟教団の諸教会を祝福してください。あなたの愛に結ばれた教団として、心を一つに祈りの手を上げ続け、支援の働きを続けることができますように。共に働く諸教会、諸教団、さまざまな支援ネットワークの働きを祝福してください。その中で同盟教団が主のしもべとしてよく仕えることができるようにしてください。そのために必要なすべてのものを豊かに与えてくださいますように。

今、私たちはあなたの弟子たちとして、あなたの教えてくださった祈りを、心をあわせて祈ります。

主の祈り。
天にましますわれらの父よ。
願わくは、御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を今日もあたえたまえ。
われらに罪を犯すものを、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。
われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、かぎりなくなんじのものなればなり。
アーメン。




私たちの活動について

日本同盟基督教団では2011年3月14日に地震対策本部を設置し、東日本大震災支援のための働きを続けて来ましたが、2012年4月1日より震災復興支援本部として改組し、今後二年間の予定で岩手、宮城、福島にて被災者の方々の生活支援、心のケアに取り組んでまいります。

【お問い合わせ先】
日本同盟基督教団
〒151-0072
東京都渋谷区幡ヶ谷1−23−14
教団事務所 03-3465-2194
本部事務局 080-2341-9940(朝岡)
ボランティア派遣担当 090-3590-5737(山村)
domeivolunteer@gmail.com

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郵便振替口座 00120-5-142886
加入者名:日本同盟基督教団
*通信欄に「東北地方・太平洋沖地震のため」と明記してください。

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